知多市八幡の産土神

八幡神社

由緒・沿革
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由緒・沿革

創祀の年代は詳らかではないが、天智天皇の勅願寺であった薬王山法海寺の鬼門鎮護のため創建されたとの説が伝えられている。戦国時代に近隣の社寺はことごとく焼失または破壊の災難に逢っていることから、当社もその例に漏れず一切の記録が消失してしまったものと思われる。
御本殿は貞享2(1685)年の建造になり三間社流造桧皮葺、蟇股、柱、たる木などに桃山時代の様式を残すものとして、昭和51年2月20日知多市の文化財に指定された。基壇となっている石組は、城積みといわれる技術によって組まれ、氏子農民の得意とする伝統的な黒鍬の石工技術である。

昭和6年現在の拝殿、幣殿、翼廊、手水舎などが新築され、昭和48年には近代的な社務所(神社会館)、更に参集殿、神輿庫、授与所などが建設された。

近隣の人々から八幡森と親しまれていた鬱蒼たる松林は、昭和34年の伊勢湾台風による倒木と松喰い虫の被害で多くの松が失われたものの、残った松と広い境内が名残を留めている。当神社は、江戸時代の寺本4か村(現在の八幡小学校区)の総鎮守として住民を始め多くの人々に崇敬されている。
神幸祭は10月15日以前の日曜に例祭の午後に行われている。お渡りとも言われ、ご祭神の分霊が神輿にお乗りになり、お旅所の天白社まで、往復1.6kmを1時間半かけ行列を整え行われている。神輿を中心に威儀物、幟を持った神役、大人・子供合わせて114名と各組の役員・子供神輿・飾り車も後に続く。その中4組の飾り車には江戸末期に造られた屋形を載せている。なお、午前中には飾り車を連ねたパレードが、8kmの道程を3時間半かけ氏子区域内を隈なく巡っている。


八幡宮祭礼式の図 一巻

下の絵巻「八幡宮祭礼式の図」は宝暦5(1755)年に尾張藩の命により作成され提出されたものの控であり、神宝として大切に保管されている。当時は例祭日が8月15日(旧暦)であり、素朴な山車が3台描かれているが現存しないのは残念である。当時と現在の神役を比較すると多少の変動はあるが250年以上受継がれていることが判る。




通称 尾張八幡神社
鎮座地  愛知県知多市八幡字荒古後87
TEL 0562-32-1620
FAX 0562-33-7685

 

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八幡神社
 愛知県知多市八幡字荒古後87 問い合わせ先/TEL 0562-32-1620